ゲームタイトル
【ドラゴンクエストモンスターズ2
  〜マルタの不思議の鍵】

2002.1/11より 毎月11日更新

written by . butyo





第1話 「ぶちょう、ネットに立つ」
(掲載日:2002.1/11)







インターネットに初めて触れたのは、1998年、大学1年の頃だった。

自分にとって初めて触れる「インターネット」は不思議な世界だった。検索エンジンに興味のあるキーワードを入れれば、関連するサイトが次々と現われる。さらにそこからリンクを辿れば、次から次へとサイトの山、無限の書物。さらにおもしろかったのが「掲示板」。日本全国の顔も知らない人たちと、部屋に居ながらにして会話できる。


最初に入力した検索ワードは「ドラクエ」だったと思う。別にドラクエ信者だからと言うわけではなく、いい検索ワードが思いつかなかったのでとりあえずドラクエを入れてみた、という程度の事だった。


当時、見ていたドラクエ系のサイトはうろ覚えだが、「東大ゲー研」「ゆうぼうのでたとこホームページ」「ドラゴンクエストモンスターズ(?)」「タイジュ図書館別館」「ドラクエクイズ(?)」等だったと思う。


「東大ゲー研」は東京大学のゲーム研究会さんのページで、チャット風の一行レスの掲示板が置いてあった。そこでのドラクエトークがマニアックですごかった。ドラクエ2関連のバグ技はここで知った。1,2回、名無しで書き込んだこともある。(自動的にlocal?というようなHNになったと思う)

あそこに書き込んだのがインターネット初カキコで、レスが返って来たときはめちゃめちゃ嬉しかった。今の自分では考えられない反応(笑)残念ながら今このページがどうなっているかわからないが、初レスをくれたゲー研創設者さんのサイトは比較的最近に行ったことがある。


「ゆうぼうのでたとこホームページ」は堀井雄二さん本人のページで、ページ開設は「パルプンタウン」と違って大々的に宣伝するような事はせず、結構秘密裏にやられていた。だから見つけたというだけで嬉しかったし、隠しページクエストもあって楽しめた。このセンスはさすがだと思う。アクセス600くらいの時に初めて行ったと思う。


「ドラゴンクエストモンスターズ(?)」は「ドラゴンクエストモンスターズ〜テリーのワンダーランド」の攻略サイトで配合情報が早かったのでかなり参考になった。サイトの正式タイトルはど忘れした。他にも何個か行ってたサイトもあったように思う。実は当時は携帯型ゲームボーイは一度も買ったことが無く、スーパーゲームボーイ(スーファミに接続するやつ)でプレイしていた。だからテリーで対戦をしたことがなく、もちろん大会とかも出ていない。


「タイジュ図書館別館」はテリーのすさまじい解析サイトだった。耐性や配合、成長パターンはもちろん、次に命の木の実が出る地形とか、そんなんまで解析されていた。しかし、なかなか難解。無断加工転載自由だったのでこのサイトを解説するサイトとかもあり、それと並べて読んで理解できた。耐性強化(メタル化)も理解したが、結局実践しなかった。

知識面では遜色は無いと思うが全く実践はせず。携帯型GB非所持で、テリーは最後までまともに通信対戦しなかった。ちなみに、このサイト自体はすでに閉鎖されてしまったが某所にミラーが残っていて、今もほとんどの記事を読むことができる。


「ドラクエクイズ(?)」はドラクエのクイズができるCGIを置いたサイト。正式名称はど忘れ。当時は結構楽しめた。でもマシンのスペックとネット速度の遅さでタイムを縮めることができなかった。今もあるんだろうか?


以上がインターネットを始めた頃に見たドラクエ系サイトで、読んでもらったらわかる通り、かなりうろ覚え。それもそのはず、実はドラクエ系サイトを見ていたのはネット開始当初だけで、検索のやり方がわかるにつれて見なくなっていったのだ。結局、検索のやり方を覚えるためにとりあえずドラクエを入れたようなもので、これより2年間くらい全くドラクエ系のサイトは見なかった。まさか将来自分がドラクエ系のサイトを開設する事になるとは夢にも思わなかった・・・。



実はホームページを見始めたのも作り始めたのも同時期で、1998年の6月には学内ネット(学校内の端末からしかアクセスできない)にて、すでにホームページを作り始めていた。これがかなり楽しかった。

ページの詳細は省くが、『○○連合』と言う風なサイト名で複数のサイトの連合サイトで、自分は「会長」を名乗り、本部を運営していた。相棒と二人で始めたが、時間が経つにつれ、顔も知らない学内の有志がどんどん集まってきた。みんなでひたすらページ作成を続けた。

『外部に公開されない』というのは学内ネットの短所だったが、『××連合』はこれを逆手に取った。これはつまり外にバレないと言うことなので、みんな好き勝手に違法性の高いことをやっていた。自分自身は肖像権を無視し当時の総理大臣や大統領の画像を使ってネタをやっていた。メンバーの中には非常にきわどい事をやっている者もいた。2年の活動の成果か、学内ネットのモラルは著しく低下していった。

そしてある日、突然、当局(大学側)の一斉摘発が始まった。


だがネタに走っていた会長はおとがめなしだった。ヤバイ部分を受け持っていた副会長は摘発され、始末書を書かされた。半年間の利用制限のおまけつき。彼はこれが原因でページ作成を引退した。

会長がヤバイ部分を巧みに避けて自分に押し付けたと思っているらしく、「とかげの尻尾きりだ」と当時のことを未だに怒っている。しかし、引退後はおもに学業の面で貢献してくれ、ほとんど全てのレポートや過去問をコピーさせてくれた。彼は今でも一番の親友だ。


一斉摘発以後も必至に活動を続けた。副会長も呼び出された時、当局との会話内容をテレコで録音しており、それをネタに制限解除後にまた遊ぶつもりだったらしい。しかし、当局は学内ネットの根幹であるHPを紹介するシステムを次年度より停止。学内ネットは衰退の一途を辿っていった。その後もサイト内容を変えて地下活動を続けていたが、学内ネット自体の衰退を止める事はできず、行き詰まりを感じていた。


そんな中、2000年7月、定例チャットでメンバーの一人が提案した。

「サーバーを作ったんで試しに外部ページ立ち上げてみませんか?」


サーバーテストも兼ねているらしく、とりあえずなんでもいいからやってみないか?と言うことだった。それで当時DQ7をやっていたので、DQ7攻略サイトを作る事にした。名前は何となく「DQ7倶楽部」、倶楽部なのでとりあえずHNは「部長」にした。


とりあえずドラクエでいくか』

結局、このとりあえずの決定で、(大袈裟だが)人生が変わった。



前作テリーは一度もまともに対戦した事が無い。それどころかゲームボーイすら持っていない。別にゲーマーでもない。

まさか、こんな自分が身を削ってゲームに時間を費やし、全国大会で優勝するような事になろうとは・・・・。


つづく






次回、第2話は速報誕生の立役者
????さんが登場予定!






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